「教育再生民間タウンミーティングin三条」に約300人が参加
 日本教育再生機構主催の「教育再生民間タウンミーティングin三条」が平成19年6月2日(土)、新潟県三条市の三条市中央公民館で開催されました。
 登壇者は和田秀樹氏(精神科医、国際医療福祉大学大学院教授)、小林義典氏(現職教師)、橘直也氏(塾講師、橘セミナー代表)、中川薫氏(新潟県小中学校PTA連合会副会長)、坂田光子氏(国際ペットワールド専門学校常任アドバイザー)、日野浦司氏(にいがた県央マイスター)、八木秀次(日本教育再生機構理事長・高崎経済大学教授)の7名が参加しました。
 会場には教育関係者や保護者をはじめ、新潟各地から集まった約200名が参加しました。三条は六角巻凧発祥の地といわれ、当日、会場の近くでは郷土の伝統・文化を受け継ぐ「三条凧(いか)合戦」の熱い戦いが繰り広げられており、凧の飛び交う大空のもと、こちらも凧合戦に負けない力強い議論が飛び交いました。
             産経新聞6月3日付  新潟日報同日付web版





主催者代表挨拶



八木秀次(高崎経済大学教授・日本教育再生機構理事長)
 日本教育再生機構は、これまで個々別々に活動してきた様々な教育関連団体や個人を緩やかなネットワークで結び、学校・家庭・地域が力を合わせ教育再生に取り組んでいく場を提供しようとする団体である。
 民間の立場から政府の教育再生政策を支え、積極的に提言していくべく教育再生民間タウンミーティングを全国で開催している。
 この運動のモデルは、1969年から約10年間イギリスで行われた教育黒書運動にある。当時のイギリスの教育は今日の我が国のそれと非常に似ていた。学力低下が叫ばれ、規範意識の低下も指摘されていた。このままいけば英国は衰退するとの危機感が国民に共有されるに至り、民間から保護者・教育関係者ならびに政治家・地域団体など広く教育に関わる人たちが一堂に会して、全国でミニ集会を開いた。そして、教育の現状を告発し問題点を浮き彫りにし、代案を示した。これが教育黒書運動である。
 その運動が世論を動かし、1979年5月サッチャー政権が誕生した。サッチャー政権は、10年間の教育黒書運動の成果を積極的に取り入れ、大胆な教育改革を行い、英国の教育問題を克服した。
 我々は、民間の力によって政府の教育政策を動かし、国を立て直したというイギリスの教育黒書運動の姿勢に学び、タウンミーティングを開催している。
 昨日、政府の教育再生会議が第二次報告書を発表した。この報告書には、われわれのタウンミーティングの成果である提言がかなりの部分で反映されている。例えば、再生会議の第一次報告では、当初、ゆとり教育について盛り込まれていなかったが、ゆとり教育を一番目に盛り込ませた。そして、第二次報告では、土曜日の授業復活や徳育の教科化が盛り込まれた。このように様々に当機構の提言内容が反映されている。
 本日のタウンミーティングにおいても、皆様方の声が政府の教育政策を動かし、日本を立て直すきっかけになればと考える。


来賓挨拶



三条市長 国定勇人氏
 これまで、教育分野はとかく正面から議論することが憚られる時代もあった。今、教育基本法改正を皮切りに、国民全体で議論できる土壌づくりがなされ始めていると感じている。
 階段をかけずり落ちる勢いで少子化が進む中、子供たちが本当に豊かな教育環境の中で学習ができる基盤をつくることがわれわれの最大の責務であり、そのためにタブーを排した議論が必要である。



【提言1】

特別提言



和田秀樹氏(精神科医・国際医療福祉大学教授)
 教育について、地域の皆様とお話できる機会をもたせていただいたことは光栄である。
 教育再生会議に教育再生機構の意見が取り入れられることは非常に意義深い。なぜなら、中央の議論は、地方の教育の現状がほとんどわからない都市部の人間によってなされているからである。
 我々が心配している教育の崩壊で一番問題となるのは、地方と都会の教育格差である。たとえば、中高一貫校のない地域には中学受験のための塾がない。これが都市部の中学受験生との格差を生んでいる。この格差が現実であり、これをなんとかしていかなければならない。しかし、都市部の人間は都市部しか見ていないため、子供たちは受験に苦しんでいると繰り返す。
 信じられないが、中学二年生の41%は学校の外で一秒も勉強していない。これは少子化が影響していると考える。第二次ベビーブーム世代の規模に合わせ公立高校をつくったため、現在、ビリの成績でも公立高校に入れる時代になっているからである。
 国際競争力ランキングをみると、ランキングの高い国は、出来ない子の少ない国である。上位1〜2割の学力が非常に優秀であるが、残りは学力がないという国は、実は競争力が弱いと考えられている。日本の強みは中卒・高卒の人でもとても学力が高いということであり、これが日本のモノづくりを支えてきた。学力再生はみんなの学力が高いということが大事なのである。
 日本は、この何年間かの改革で、株主が会社を持つ時代がきた。これは、経営者が無駄な金を使えば、株主が経営者を訴えるという時代である。ロボットが2本足で歩き、ロボットが寿司を握る時代で、ロボットができる仕事を人間にさせると、経営者は株主に訴えられる時代が来ている。国民全員がロボットに勝てる学力がないと、その人たちを国が食べさせていけないことになる。それが国の競争力の弱さにもなる。つまり、できない人間を一人でも減らす教育再生がまず望まれるのである。
 いったい何のために国を守るのか。まさかないとは思うが、他国に侵略され植民地にされるようなことがないためである。植民地にされるとは、搾取されるということだ。ところが、戦争などしなくとも、日本は植民地の一歩手前である。日本の会社を外国人が買った場合、外国人の経営者または株主が、日本人を安く使い、利益を上げろ、また、いらない人間は切れと迫る。日本人を搾取し外国人株主が利益を吸い上げていくことは、株主が偉い社会では現実に起こることである。
 2007年から三角合併が解禁された。外国の会社が自社の時価総額を担保に日本の会社を買えるようになった。韓国のサムスン電子の時価総額は、松下とソニーの時価総額を合わせた額より大きい。乗っ取る気になればいつでもできるということである。
 今ですら、諸外国に負けている現実があるのに、日本の子供の学力は諸外国に負けている。このままでは、今後ますます、日本企業は買われ搾取されることになる。これを植民地状態といわずしてなんと言うのだ。我々が植民地状態を回避したければ、我々がしなければならないことは、勉強をして彼らに勝つことである。「最大の国防は教育」なのである。まず、これを自覚する必要がある。
 高度な教育を東京で受けなければならないということは、逆にいえば、この三条に非常に優秀な先生をスカウトし日本で一番東大へ入る学校をつくれば、日本中の優秀な人間が三条に集まってくるということである。建物を造らずとも、こういう形で「町おこし」はできるのである。
 安倍政権の政策で一番評価しているものに「ふるさと納税」がある。これは格差解消には大事である。地方で優秀な人材を輩出すれば、将来の税収としてかえってくる。それぞれの町で優秀な人材を育てることが「町おこし」なのである。「教育こそが町おこし」である。



「教師の授業力と統率力の向上」



小林義典氏(現職教師)
 授業力と統率力、教師がひとりひとり技能を身につけることが大事である。
 知的興奮をおぼえる授業、すべての子供達がわかる授業を教師ひとりひとりができなければならない。優れた教育技術をすべての教師で共有し、汗をかき、恥をかき、切磋琢磨していかなければならない。
 優れた授業、優れた教育の創造は、長い歳月をかけて幾世代に伝えられていく教師の共同の仕事である。皆の知恵を結集して、皆の授業力と統率力の向上を図る必要がある。

八木秀次
 戦前までの師範学校の教育の伝統が戦後まったく継承されておらず、個々の教師の独学に任せてきた。そこで、日本の近代教育、寺子屋の教育の良き伝統を継承しながら、良い教育技術を皆で共有し、教師全体の授業力・統率力を向上させようというのがTOSS(教育技術法則化運動)である。



「ゆとり教育の爪あと」



橘直也氏(塾講師・橘セミナー代表)
 ゆとり教育による知識量が低下する以上に恐ろしいことは、子供の意欲・向上心の低下である。これは人間の根幹にかかわる事である。ゆとり教育、学校週五日制は国策の失敗である。私は、生まれながらの能力は関係ない、正しい努力をすることこそが大切であり、それを強く教えている。
 適度な頃合いを見失った日本人の未来は暗い。白か黒か、ゼロか百かと、適度な頃合いがなくなりつつある、これが全ての分野でみられ、この国に更なる混乱をもたらしている。例えば体罰が良い例だ。一昔前までは、暴力と愛の鞭の区別は明確に認識できていた。しかし、いまや教員・保護者・子供たちが、これらを判断する機会すら与えられていない。
 私は常々、以下のことを塾生に教えている。教科書を100%信じてはいけない。先生の話を100%鵜呑みにしてはいけない。そして、私の話でさえ100%信じてはいけない。自分の目で見た事実、経験を蓄積して人間を形成していかなければならない。
 親が子供に残してあげられるものは、家や土地といった形あるものでなく、親の人生から生まれた言葉という形のないものである。これこそが、子供たちにとって、人生という航海の羅針盤になりうるのである。



「家庭の教育力」



中川薫氏(新潟県小中学校PTA連合会副会長)
 子供たちが変わったとよく耳にする。しかし、子供が変わったのではなく、常識や良識のない大人社会によって子供たちが変えられてしまったのではないか。子供たちの心身を健全に成長させることができれば、子供たちは子供らしく成長し、立派な大人となって社会に貢献してくれると信じている。
 一番身近な社会は家庭である。社会にはルールがあり、家庭にもルールがある。守るべきルールを家庭で教えなければならない。家庭で守れないものが地域・社会で守れるはずがないのである。
 親は、怒るだけでなく、しっかり子供と向き合い、叱り、教え、諭し、家庭内のルールを教え、そして、子供の視野が家庭から社会へと広がるように導いてやらなければいけない。親が変わらなければ子供は危うい。そして、大人、学校、地域が変わっていかなければ社会は良い方向へは行かない。



「生命尊重教育」



坂田光子氏(国際ペットワールド専門学校常任アドバイザー)
 生きる力をどう養っていくか。これが子供の教育で一番大切である。
 動植物の飼育や自然について考えることを通して、自尊心を養い、命の大切さや我慢することの大切さ、そして社会に対する責任を育んでいくことが重要である。これらは、国を大切に思う気持ちや倫理観の育成にもつながり、教育再生への第一歩となる。
 生命尊重教育を学校の教師だけに任せてはいけない。家庭はもとより、地域社会全体で担っていかなければならない。



「ものづくりから考える教育のあり方」



日野浦司氏(にいがた県央マイスター)
 三条に生まれ、三条に育った鍛冶職人としての立場からお話したい。
 製造現場においてもCAD等のIT技術の進歩により、モノづくりが人の手から離れ、バーチャルの世界でモノができる時代になっている。確かにすばらしいが、人の手によるモノづくりの世界と、コンピューターによるモノづくりの世界には、埋められない溝が存在する。この隔たりが、現代のモノづくりの弱さである。
 モノづくりには、いろいろなやり方があっていい。いろいろなやり方の中で、自分の手で失敗を繰り返し、試行錯誤をすることにより経験を重ねていくことができる。
 今の教育現場では手作りで経験する時間が少なくなっていると聞いている。本などの知識だけでなく、五感をもってモノづくりを実感することは非常に大事なことである。多くの人に手で作る喜びを感じ、自分の手で何かを学んでもらいたい。





八木秀次(日本教育再生機構理事長・高崎経済大学教授)
 昨年、教育基本法が改正されたが、その第二条に教育の目標として、次のことが掲げられている。「豊かな情操と道徳心を培う」「公共の精神の基づき」「生命を尊び自然を大切にし」「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する……態度を養う」
 これらを教育の目標と掲げていても、子供たちに具体的に身に付けさせなければ、絵に描いた餅に過ぎない。そこで、道徳教育を重視する必要がでてくる。
 子供たちにキチンとした道徳や規範意識を身に付けさせてこなかった結果、子供たちが変わり、子供たちが責められている。だが元を辿れば大人の問題である。
 子供の自主性を強調してきた戦後民主主義的教育観そのものを変えないと駄目である。子供の自主性を尊重する、子供の学習意欲を尊重するという「子ども中心主義」、この「子ども中心主義」が今の教育界を覆っている「ゆとり教育」の根幹にある。教師は教育者ではなく、学習の支援者になっている。これらは確かに聞こえは良いが、子供に何も教えないままに、子供の自主性を尊重していては、どういう方向へ行くかわからない。学校でも、最低限教えるべきことは教えていかなければならない。これを戦後怠ってきた。ここ十年は怠り過ぎてきた。子供たちの意思に背いてでも身につけてもらわなければ困ることが教育にはある。それを怠ったツケが今まわってきているのだろう。
 このままでは、国際競争社会の中で生き残っていくだけの学力や規範意識が身に付くとはとても思えない。道徳教育を強めていくことは、教育基本法第二条の趣旨を実現していく上で当然といえる。
 マスコミ各社は、道徳教育について非常に否定的である。「道徳教育を強めるのは良くない」「戦前の修身教育を復活させるのか」と否定するのみであり、一向に代案を示さない。
 修身教育は非常にユニークであり、この手法は現代でも十分活用できるものである。戦前の修身教科書を復活させろという意味ではない、日本の良き教育手法は、色眼鏡で見ないで再評価し、議論すべきである。



【提言2】

一般提言




岡田竜一氏(三条市PTA連合会会長)
 子供がキレやすい、短絡的な行動をする、イジメ問題、いまや問題が山積である。それらは、子供たちの異なる学年、異なる年齢の交流といった、集団の中での経験が減少し不足していることに起因するのではないか。
 人間関係は経験の中でしか学べない。だがいまは子供たち同士の集団での経験や、上下関係の中での経験といった、人間関係のルールや秩序を学ぶ機会が減っている。
 地域社会が、何か機会を設けることにより、キッカケを作れるのではないか。
 子供の問題は親の問題であるから、親が子供にとってよい手本となることが大切である。




山谷幸氏(NPO地域たすけあいネットワーク理事長)
 子育てという観点から提案したい。
 子供を三人育ててきた。いろいろ問題を起こしたこともある。そういった経験を通して痛感するのは、一緒に悩み、互いに支えあうような、親の子育てを支えるサポートの必要性である。そこで、親をサポートできる地域体制、教師が親も子供もサポートできる教育現場の体制が必要であると思う。




渡辺雅之氏(社団法人燕三条青年会議所・幹事)
 母親による家庭教育が教育の原点である。それを支えるのは夫婦の和である。家族が幸せになるには、まず夫婦が仲良くなければならない。
 そして、子供は親の姿を映す名優である。子供を良くしたければ、まず親の行いが良くならなければならない。ひとりひとりが、まず自分自身の足元を見つめ、行いをかえていかなければならない。自分自身を見つめ、一歩一歩実践し、家庭・地域社会そして国を変えていきたい。



質疑応答およびディスカッション

(会場よりの質問)
 子供たちは退屈が一番嫌いである。勉強がわからないからつまらない、わかっていることばかりでつまらない、という子供が多いのではないか。学校が退屈でなければ、学校が楽しくなり、子供たちが変われると思う。そこで、能力別の教育方法とることができないか。

(和田秀樹氏)
 「わかる」という体験で退屈をしのぐことと、「できる」という体験で退屈をしのぐということがある。子供のある時期は、「わかる」ということにあまりこだわらず、丸覚えでいいから「できる」という体験をさせる方法もある。
 いずれにしても、生徒数がある一定数以上になると能力別にせざるを得ない。
 フィンランドは、特殊学級さえ廃止して、学習障害者を含め能力別を一切排している。しかし、クラスが小さく、必要に応じてクラスを5人ずつといった小さな班に分け、教えたことは必ず身に付けさせるということを前提としている。
 能力別が効率的には一番良いと思うが、子供の自尊心を傷つけ逆効果になることもある。子供の生まれ月等に起因する発育の差なども考慮に入れ、子供の自尊心を保ちながら、能力別のクラスをつくることや、能力別に頼らず少人数学級を実現するなど、いろいろな工夫が必要である。

(小林義典氏)
 様々な子供が教室にいることが、お互い刺激しあうという面でメリットがある。ノートに写す等の作業をさせることが非常に大切である。工夫次第で対応できる。

(八木秀次)
 「能力別」というと刺激的な言葉になるが、「習熟度別」との表現で導入している学校はある。
 私には子供が三人いるが、完全能力別の学習塾に通っている。毎日テストがあり、成績が貼り出され、それにより席順が決まるが、子供はそれを喜んでやっている。子供とはそういうものかもしれない。今の教育界はあまりにも競争をさせなかった。その弊害が出ているのではないか。
 学習塾は学校教育と違う原理を取り入れて成果を上げている。

(橘直也氏)
 うちの塾は能力別を取り入れていない。講師二人に生徒が20人で、一人で10人見ているからである。
 これには利点がある。一年、二年経つと全体の平均レベルが確実に上がる。これは、成績上位の子が増えるというより、下位の子たちが上の子たちに引っ張られ、全体的に底上げされるのである。

(会場よりの質問)
 教育現場には、競争をさせない、内申点を秘密にする等、子供たちが自分自身の現状を認識できない様にしている現状がある。子供たちが現状を認識できなければ、勉強すべきか否か、自分はどうすべきか、自分で判断できないと思う。現状を子供たちに認識させる制度が必要ではないか。

(橘直也氏)
 内申点に関しては各校が秘密にしている。理由は明白である。今の教師にとって、内申点を奪われると「仕返し」ができなくなる。そのためだけに内申点を握っているのが現状であると思う。
 子供の現状認識に関しては、まさにその通りであると思う。大学入試は県内だけの競争ではない。全国の人と戦わなければならないのである。厳しく子供に現状を教えることが子供の将来につながる。

(小林義典氏)
 小学校においては、子供たちに競争の意識が少ないのが現状である。
 教室では、たくさん間違ってその間違いを直し、賢くなるのだと教えている。テストを返す時、私は点数を公表している。

(和田秀樹氏)
 情報は公開すべきである。自分が何を頑張らなければならないか、自分の能力を分析しどうすれば自分の能力を伸ばせるか、これらを考えるにはデータがなくてはならない。
 内申点であるが、例えば道徳を教科にして評価することは反対ではないが、評価の基準は曖昧なものであってはならない。昔の内申書は、どんなに先生に嫌われていても、数学や英語等の点は、小テスト・中間テスト・期末テストの平均点で客観的についていた。ところが現在、テストの点数が最低の場合25%しか加味されず、その他、意欲・態度等の観点から総合点をつけるシステムになっている。意欲・態度は、先生の主観によっているのである。これらが、子供たちを不安にさせ、頑張る意欲を削いでいる。実は、ゆとり教育だけでなく、このような評価システムも学力低下の一因になっているのである。
 教育の問題というのは、たった一つのことを良くすれば解決するものではない。マスコミの弊害、教育政策の弊害、家庭の問題、学校現場の問題さまざまである。ひとつひとつを少しずつ良くしていくだけで、教育そして日本は必ず良くなっていくのである。

(会場よりの質問)
 人権をどのように高校生に教えたらよいか。

(八木秀次)
 私は人権という概念自体に懐疑的である。なぜなら、当然、権利には義務が伴う。自由には責任、あるいは秩序、伝統が伴う。これらはヨーロッパでは普通の発想である。ところが日本では、権利・自由に伴っていた義務・責任・秩序・伝統が削ぎ落とされてしまったのである。
 それゆえ、教育基本法で「公共の精神」という言葉が入ったが、これは当り前のことであり、ものごとはバランスをとっていかなければならない。

(会場より提言)
 一番の問題は「総合学習」である。「総合学習」とリンクするのが「生活科」である。「生活科」ができた平成元年をきっかけに、子供たちがだらしなくなった。「総合学習」は日教組の運動方針の一つであり、これがあらゆるものを妨害している。教育再生を進めるならば、「総合学習」をなんとかしてもらいたい。

(会場より提言)
 教員の社会は大変忙しい世界である。子供の命をあずかり、日々、目の前で起こる問題に対応しなければならない。マスコミが言うほど学校の教員は馬鹿でない。多忙を極めているということを是非知っておいて欲しい。

(八木秀次)
 「総合学習」と教員の多忙は繋がっている。「総合学習」の背景にある「子ども中心主義」という発想が、現場の教員を非常に忙しくさせている。自分たちで教材などを作り、授業を新たに作っていかなければならないからだ。
 ほとんどの先生は真面目に取り組んでいる。しかし、一部の先生たちの団体の考えが、日本の教育政策を大きく動かしてきた。平成に入ってそれは顕著になり、村山政権ができて決定打となった。現在の「ゆとり教育」はその最たるものである。
 この点を改善すべく、我々は、教育再生会議に提言を続けている。今後も続けていきたい。

(会場より提言)
 小学校で掃除の時間が週に2〜3回しかないところがある。雑巾がけをキチンと教えていないところもあるそうである。教員はそれらを放置していると聞いている。
 私には子供がいるが、高校進学の際、判断材料になる情報がないため、受験校が決められず大変困った。内申点の現状も知らなかった。まったく何もわからない状況で子育てをし、相談するところもなく親たちは大変困惑している。
 これらの現状を何とかして欲しい。

(小林義典氏)
 そのような現状は承知していないが、そうした現状があるならば、掃除の仕方くらいはキチンと教えるべきであろう。

(八木秀次)
 掃除というのは、その学校が良い学校か否かのポイントのようである。掃除指導をキチンとやっている学校は、学力の面でも良い傾向があるようである。
 掃除の問題というと、一見すると小さな問題のようであるが、非常に重要なポイントではないか。

(坂田光子氏)
 学力ももちろんだが、生命尊重教育は、掃除教育とつながりがある。トイレ清掃や街を美しくすることを通して、郷土への誇りや愛着につながる。

(日野浦司氏)
 これまで守られてきた一般常識について、今の多くの子供たちはわかっていないのではないか。挨拶の仕方をはじめとした礼儀作法、掃除の仕方、道具の扱い方などは、例えばモノづくりを通して、若い人たちに教えていくことは沢山あると思う。ここ三条はモノづくりの盛んなところであり、それを通して若い人たちに色々なことを教えていければと思う。

(八木秀次)
 今後、学校選択制が全国展開されると思う。すると、教育力の高い学校が選ばれ、その教育力の高い地域に人が集まるという結果をもたらす。今後、教育は十分地域の資源になりうる。つまり、高い教育力を誇る街は豊かになるのである。また学力のみならず、挨拶がきちんとできる学校、掃除教育の行き届いた学校、特色ある学校が注目されるのである。