「教育再生民間タウンミーティングin松江」に250名が参加

(その1)

【第一部】 基調講演   八木秀次(日本教育再生機構理事長)
「日本の抱える教育問題を語る」
●日本教育再生機構と「民間タウンミーティング」が目指すもの
●サッチャー政権を生んだイギリス“教育黒書運動”
●新しい教育基本法で何が変わるか
●「不当な支配」として排除されるのは?
●“なしくずし”の危険あり、教育再生会議の「ゆとり教育見直し」
●近代教育の体系の復活を!!

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 日本教育再生機構が主催する「教育再生民間タウンミーティングin松江」が、3月17日(土)午後2時より、松江市・くにびきメッセで開催され、約250名が参加して会場の一般参加者からも多くの意見や提言が出されました。

 第一部では、八木秀次理事長が基調講演を行い、第二部のパネルディスカッションでは、太田敦久氏((社)松江青年会議所2007年度理事長)、安達利幸氏(現職教師・島根県教職員協議会会長)、玉木延子氏(PTA母親代表)、小林正氏(元参議院議員・日本教育再生機構代表委員)、八木秀次理事長が登壇し、コーディネーターは濱口和久氏(日本政策研究センター研究員)がつとめました。

 小林氏からは、「ゆとり教育や週5日制はそもそも自治労など組合の都合で進められ、元来が子供たちのための教育制度ではない」、「新しい教育基本法の趣旨にそった法改正、とくに新たな教科書法の制定は急務だ」などとの提言があり、注目を集めました。

 これを受けて八木理事長は、「現在の中学校歴史教科書で最も穏健といわれている東京書籍の教科書であっても、未だに『支配するもの』と『支配されるもの』の戦いの歴史として描かれており、かつての階級闘争史観の主張で貫かれている。これは歴史教育ではなく、生徒に闘争を煽る政治教育だ。おかしな教科書が未だに出版され、採択されるのは、日本で最も影響力の強い教職員組合がそうした主張を未だにもっているからだ」と指摘しました。

後援は、(社)日本青年会議所島根ブロック協議会、島根教職員協議会、島根県私立中学高等学校連盟、松江経営者漁火会、島根県神社庁など。
H19.3.18付「産経新聞」(島根版)H19.3.26付「産経新聞」
in 松江の当日プログラム







【第一部】 基調講演    八木秀次(日本教育再生機構理事長)
「日本の抱える教育問題を語る」(本タイトル)
●日本教育再生機構と「民間タウンミーティング」が目指すもの
●サッチャー政権を生んだイギリス“教育黒書運動”
●新しい教育基本法で何が変わるのか
●「不当な支配」として排除されるのは?
●“なしくずし”の危険あり!! 教育再生会議の「ゆとり教育見直し」
●近代教育の底力の復活を!



◎日本教育再生機構と「民間タウンミーティング」が目指すもの
 私ども日本教育再生機構ができたのは昨年の10月ですが、じつは日本には優れた活動を続けておられる教育関係の団体や個人の方がたくさんいらっしゃいます。しかし、ヨコのつながりがこれまでなかった。それゆえ教育の分野では、左派系統の人の声が大きくて、一般の良識ある人々の声がなかなか教育行政や教育を決定する場面に届かなかったという反省があります。
 ここは、できるだけ多くの団体や個人を緩やかなネットワークをつくって連帯して、大きな流れを作っていこう、という構想で始まった新しい団体です。
 現在、全国各地で、民間版の「タウンミーティング」を開催しております。一般に「タウンミーティング」といえば、政府の「やらせ」を思い浮かべるかもしれません。
 しかし、そうした「つくられた国民の声」ではなくて、我々の「民間版のタウンミーティング」では「国民の生の声」を集めて、それを我々の方でまとめて政府に届けて教育政策や教育再生の動きに反映させようという意図で始めたものです。
 昨年は5箇所、今年も神戸、群馬、阿蘇、静岡で開催しております。昨年、5箇所の「民間タウンミーティング」で出された意見については、これを集約して、昨年12月22日に政府の教育再生会議に「7項目」の提言として提出しました。
 その後、1月に発表された教育再生会議の第一次報告は、じつは私たちの「7項目」の提言がほぼそのまま反映されたものになっています。
 その意味で、この「民間版のタウンミーティング」の成果が教育政策にじっさいに反映されようとしており、それなりの成果を上げていると自負しているところであります。

◎サッチャー政権を生んだイギリス“教育黒書運動”
 そもそも、「タウンミーティング」とはアメリカでは公聴会、地域住民の集会という意味ですが、私の頭の中にあったのは、イギリスで1969年から10年間にわたって起こった“教育黒書運動”をイメージしていました。
 当時のイギリスは今日の日本と非常に良く似た情況を呈していました。いわゆる「ゆとり教育」も当時のイギリスでも行われていました。「総合的教育」もありました。おかしな人権教育、歴史教育もありました。
 そうした様々なおかしな教育がイギリスで行われていた原因は、ひとえに教育界を支配していた左派系の教職員組合、そして彼らとウラでがっちり手を握っていた教育委員会組織、つまり特殊なイデオロギーを持った人たちの声がそのまま教育政策に反映されて、教育は混乱し、国家は疲弊したのです。
 「英国病」という言葉が当時はありました。イギリスはこのまま衰退するといわれていました。国の様々な重要政策のなかに、社会主義的なイデオロギーが浸透していたのです。イギリスの“教育黒書運動”とは、民間サイドから、このままではイギリスはダメになる、こんな教育をしていたのではイギリスの明日を担う子供たちがダメになってしまうという強い危機感が生じ、地域の教員や保護者、政治家、行政関係者、宗教者などが全国各地で集まりました。
 そして、当時のイギリスの教育の情況を告発し、『教育黒書』という本を出版し、こう改革すべきという代案を示すという集会が10年間、各地で続けられました。
 こうした“教育黒書運動”の成果が原動力となり、1979年5月にサッチャー政権が誕生しました。また、この“教育黒書運動”の声を受けてサッチャー政権は大胆な教育改革に取り組んでいきます。
 私としては、サッチャー政権が行ったことすべてを真似しようとは思っていませんが、少なくともサッチャー政権を生み出し、国の教育改革を突き動かした“教育黒書運動”には見るべきものがあると思っています。
 すなわち、民間の力でもって政府の政策をリードする、しかもこれまで大きな声を上げていた人たちではなく、国民の本当の切実な声、声なき声を集めて、政府の政策を動かしていくことに「民間タウンミーティング」の意義があると考えます。

◎新しい教育基本法で何が変わるのか
 昨年12月の教育基本法の改正については、一般にクローズアップされたのは、愛国心教育、公共規範意識、宗教的情操心が入ったか否かに終始しておりますが、私が見るに、今回の改正の大きな眼目は、教職員に法令遵守を求めたところにあると思います。
 このことは、文部科学省の官僚も「ここが一番の眼目だった」と、秘かに言っていることです。
 しかしながら、考えてみれば、法令遵守の規定を教育基本法のなかに盛り込まなければいけないというのは、実におかしな話です。
 学校の先生は、教育公務員あるいは公務員ですが、一部の先生は、自分の考えに合わないからといって、その法律を無視し、破って、自らのイデオロギーを現場や子供たちに浸透させてきたということがあります。卒業式・入学式の国旗・国歌の問題はその最たるものです。学習指導要領―これは法律の一部ですが―、これを無視し、国旗・国歌の指導義務が明記されているのにもかかわらず、あえてサボタージュしてきた。
 一般の公務員が、自分の考えにこの法律は合わないからとして無視することは考えられませんが、教育の現場ではそれがまかり通ってきた。残念ながらこれが戦後のわが国の教育界の実態です。

◎「不当な支配」として排除されるのは?
 それからもう一つは、旧教育基本法の第10条に「教育は不当な支配に屈することなく」という文言があり、ここでいう「不当な支配」として特定の教職員組合が想定してきたのが教育行政の側であるということがありました。すなわち、文部科学省や教育委員会は学校に口を出すな、教育内容について口を出すな、という法律理解が長らくまかり通ってきたのです。
 ところが、今回の教育基本法の改正によって、そうした理解は全く成り立たなくなります。
 従来の法律解釈では、教育行政の介入を排して、教職員組合の発言力を強めていたことがありましたけれども、そうした解釈はもはや成り立たず、むしろ今後排除されるのは特殊なイデオロギーを持った教職員組合の側であるということになるのです。そうした意味で、今回の改正は非常に大きな意味があります。
 その他、教育の目標として「公共の精神」や「生命を尊ぶ」ことや「伝統と文化を尊重する」ことなどが入りました。しかし、これを今後どう具体化していくかが、次の課題となります。
 今国会で、この教育基本法の改正を受けて、学校教育法の改正が行われます。その中に「公共精神」や「伝統文化の尊重」、「国と郷土を愛する態度を養う」などが入るかと思います。またこれを受けて、今後は学習指導要領に反映されることになります。
 そして、この学習指導要領の改訂を受けて、子供たちが日々使う教科書が作成されることになります。
 これには何段階もあります。ですから教育基本法が改正されたからといって、現場の教育、皆さんのお子さんやお孫さんの受ける教育がガラッと変わるというわけではありません。
 何段階もありますから、それが下りてくる段階で、その都度チェックし、ちゃんと教育基本法の改正の精神が守られているかどうか、見届けていかなければなりません。

◎“なしくずし”の危険あり、教育再生会議の「ゆとり教育見直し」
 政府の教育再生会議は、1月の第一次報告で「ゆとり教育」の見直しをとり入りました。これは、私たちが、相当強く「ゆとり教育見直し」の注文をつけたからなのですが、授業時間数10%増やすというのが教育再生会議の考え方なのです。
 しかし、本当に問題としなければならないのは、「ゆとり教育」の背景にある教育観は全く変わっていないことです。
 再生会議の「素案」では学習指導要領を「弾力化」しようとしています。学習指導要領とは法的拘束力をもつ、現場を縛るものなのですが、これを「弾力化」させるとして、後は現場の裁量に任せようということになっているわけです。
 これは大きな問題があると私は考えます。
 現在、学習指導要領は、学習の最低基準だといわれています。みんなで習う分量を減らして―かつての半分になっていますが―、その後は「発展学習」によって個々の子供たちの発達段階に合わせていこうということなのです。
 しかしながら、これは現場の先生に過剰な負担を強いているのです。
 私どもは今、「民間タウンミーティング」で全国を回っておりますが、現場の先生たちの疲弊感は著しいものがあります。もちろん不適格教員や指導力不足、偏った教育をする教員は別にして、一般の多くの善良な先生たちが、いま非常に苦しんでいるのは、教育政策の根本にある教育観に問題があるからなのです。
 個々の生徒たちに合わせて教材まで開発しなければならない。それだけの高い能力のある教員がどれだけ確保できるのかという問題があるのです。日本全国に学校の先生は100万人いますが、これだけの能力の高い先生はそれほど多くいません。むしろ、「一人一人の子供たちに合わせた教育を」ということで、現場の先生方は教材作りで疲れきっています。

◎近代教育の体系の復活を!!
 かつてはどんな新人の先生であっても、教科書や指導書を使えば十分きちんと教えるだけのものがあったのです。それは、日本の場合、明治5年からの学制発布以来の近代教育の体系というものがしっかりしていて、その体系や制度の中で、個人の先生としての役割が限定されており、はっきりとしたからなのです。
 分かりやすく言えば、かつて先生たちは「役者」でありました。ところが今は、脚本家であり、プロデューサーであり、演出家であり、いろんな役を兼ねなくてはなりません。それだけの能力ある教師が100万人も確保できるとは到底思えません。
 したがって、今後取り組むべきことは「ゆとり教育」の背景にある「子ども中心主義」や「児童中心主義」という教育観自体からの脱却が必要なのです。
 また、この「子ども中心主義」「児童中心主義」というものこそが、左派系の教職員組合が文部科学省の政策の中に持ち込んだものであり、皮肉なことに、日教組の先生方は、いわば教師である自分の首を自分で締める結果になっています。
 しかし、かつては新人の先生であっても、あるいは代用教員であっても、十分としっかり教育ができるだけのシステムができあがっていました。それを戦後、文部省が長い時間をかけてこれを壊していき、いまや個々の先生の能力が問われるようになったのです。私は、これはある意味で、非常に気の毒なことだと思います。
 ですから、今後、取り組むべきは、明治5年以来の近代教育の体系を再構築することではないか。このことが歴史教育や人権教育、性教育の問題などと連動しているのだということを、後ほど具体的な形で議論していきたいと思います。
 まずは問題提起とさせていただきます。(拍手)