「教育再生民間タウンミーティングin山梨」に350名参加
 日本教育再生機構が共催した「教育再生民間タウンミーティングin山梨」が平成19年6月23日(土)、山梨県甲府市のベルクラシック甲府で開催されました。

 地元、山梨選出の赤池誠章衆議院議員にもご登壇いただいた登壇者の顔ぶれは、松浦光修氏(皇學館大學教授・日本教育再生機構代表委員)、天野一氏(山梨県PTA協議会会長)、岡本久美子氏(元山梨県PTA協議会会長)、八木秀次(日本教育再生機構理事長・高崎経済大学教授)の5名。

 会場には教育関係者や保護者をはじめ、山梨県各地から集まった約350名が参加しました。NHK大河ドラマの舞台となるなど、歴史的に注目されている山梨県ですが、数年前の教職員組合関連団体による事件もあり、教育再生へ向けた取り組みも注目されている中でのタウンミーティング開催となりました。当日は地元のみならず東京からもマスコミが取材に訪れ、山梨での議論の関心の高さがうかがえます。

山梨日日新聞H19.6.24付   産経新聞H19.6.27付  同Web版



主催者代表挨拶


山田一功(「教育再生民間タウンミーティングin山梨」実行委員長)


 様々な機会で子供たちと触れ合って感じることは、子供たちは純真であるということである。子供たちに罪はなく、子供たちに現れる社会現象は社会の映しである。
 偏りがなく幅広い、忌憚のない意見を集め、政府の政策に反映できるタウンミーティングになるよう願っている。


八木秀次(高崎経済大学教授・日本教育再生機構理事長)


 政府に教育再生会議があるが、日本教育再生機構は、昨年10月に発足した民間の団体である。「教育再生」を掲げ、政府の教育政策をリードしようとする団体である。
 昨年10月、東京六本木を皮切りに全国11か所でタウンミーティングを開催した。皆様の提言をまとめ、昨年12月、本年4月に政府の再生会議に提言を提出した。
 教育再生会議の第一次報告では、当初「ゆとり教育の見直し」という項目は原案になかった。我々が強く提言した結果、7項目の筆頭に「ゆとり教育の見直し」が入った。そして、第二次報告では、「道徳教育の強化」「土曜日の復活」という項目において、我々の提言が反映された。民間の声を結集した政府の教育再生政策を行わなければ真の教育再生はないが、これらは我々の成果の現れでないかと自負するところである。
 教育再生の核心部分として教職員団体の適切なあり方の議論は避けて通れない。山梨において、一部の教職員組合の組織率が全国的にみても非常に高く、また、一部の教職員組合と地元の教育委員会の関係も取り沙汰されている。こういった問題に踏み込んでいきたい。
 本日は、多様な意見の持ち主が会する稀にみる機会である。多様な意見が反映され集約した形で教育再生会議へ届け、民間がリードした教育再生へつなげていきたい。



提言1


松浦光修氏(皇學館大学教授・日本教育再生機構代表委員)

 一昨年の2月、山梨県の日教組(山教組)の横暴に憤った民間の有志とともに、県政連に対し、政治資金規正法の疑いがあるとして刑事告発した。山梨県に引けをとらないほど強力な組織率を誇る三重県の日教組(三教組)に対しても、平成11年から今日までその法令違反を指摘してきた。私は三重県に住み、県内の大学で教鞭をとり、教育の専門家ではないにもかかわらず、何故、敢えて実名を名乗って日教組批判の言論活動を行ってきたかというと、戦後の教育荒廃の元凶は日教組であると信じているからだ。我が国の教育再生を本気で実現するならこの問題を避けては通れないし、日教組問題を避けて行われる教育改革の議論は全てまやかし、誤魔化しだ。戦後、政府はこの問題にずっと及び腰であり、どんな教育改革もほとんど効果がなく、教育荒廃は加速していった。これからもこの問題を避け、逃げているのであればどんな改革を行っても無駄であり、むしろ逆効果にさえなる。
 昨年の12月、教育基本法が59年ぶりに改正された。石井昌浩元国立市教育長は『教育再生』(日本教育再生機構機関誌)で、左派は「今も改正教基法を形骸化させる巻き返しを狙っています」と指摘している。左派の教育学者は学陽書房の平成19年度版『教育小六法』(本年3月に発行)で、改正教基法は「「準憲法」「憲法附属法」としての性格は認められない」と言いはじめ、これまで憲法の次に位置していた教基法を3番目に落とし、代わりに児童の権利条約を2番目に昇格させた。彼らは昔、国旗国歌に反対する時も、法的根拠がないということを表の理由にし、(国旗国歌が)法制化されると、内心の自由を持ち出して抵抗している。左翼の教育学者は思想的に日教組と一体不可分だ。ここで深刻な問題が起こりつつあることを指摘しておきたい。教基法の改正に伴って教育関連三法が改正され、教員免許が10年ごとの更新制になったが、これで不適格教員が排除されるほど現実は甘くない。ゼロトレランスで有名な加藤十八先生は、大学の教育学部はほとんどが左翼教師で占められており、そこで受ける免許更新の講習では、あらためて変な教育思想を教え込まれるため教員免許更新制は逆効果だと言っている。現在の学校現場は多数のノンポリ教員を一部の左派教員が支配しているという図式になっている。全国の先生方が10年ごとに大学教授たちから再教育を受けなければ免許を更新できないということになれば、多数の先生は再度思想的に締め付けられ、保守の先生方は適当な理由をつけられて不適格というレッテルを貼られるかもしれない。現に、島根県教委は当機構のパンフにある「国の中心に一系の天皇をいただいてきた伝統の国」という文言を捉え、憲法にも天皇の地位が明記されているにも関わらず、思想的に偏りがあると判断した。それほど教育関係者は世間一般と比べると左翼度が高い。
 では、国の教育機関で免許の更新を行えば良いかというと、それも懐疑的だ。村山内閣での日教組と文部科学省との歴史的和解以来、文部科学省はかなり日教組化している。最近、「パッチギ! LOVE&PEACE」という反日映画を文化庁が堂々と支援していることが話題になったが、文化庁には元文科省の有名な左翼官僚が入っている。更新制を有意義なものにする唯一の方法は、例えばTOSSなど、心ある優秀な先生が組織している民間団体に更新業務を委託するしかないのではないか。日教組に支配された教育界の現況を直視しないまま改革を繰り返しても、事態はむしろ悪化するのではないかと危惧している。また、教育公務員特例法の政治的行為の制限に罰則規定がないのは法律の不備であり、この不備が日教組の政治力を強大なものにし、政界官界までをも支配する力を持たすまでになった。それが教育荒廃を招き、結果的に子供たちを不幸にしてきた。 




赤池誠章氏(衆議院議員)


 初当選以来の2年間の政治活動の中で、時代を画する法律改正の議論の場に立ち会ったことは政治家として歴史的な使命感を感じている。その大きなひとつが教育の憲法と言われている教育基本法の改正だ。議論は事実に基づいて行うことが大前提だ。旧教育基本法は、賛否はあれど、いわゆる個人の尊厳や真理の希求などを加え、戦前からの教育勅語とセットにして新たに日本の教育改革を実行しようとしたものだった。親孝行などの教育徳目は教育勅語に示されていることから教育基本法には書かれなかった。ところがGHQの占領中に教育勅語が廃絶されたため、戦後の教育は片翼飛行を余儀なくされた。そういった中で、戦前戦中の良質な部分の教育が失われていった。新教育基本法は旧法の文言を削除しておらず、家庭教育や幼児教育、義務教育の目的など、足りない部分を付け足して出来ている。そういったことから、教育基本法が改正されたから今までの教育が全部無くなり、だめになったというような批判は全く事実に当たらない。
 教育三法改正の趣旨の1つ目は学校の改革だ。今までは校長と教頭しか管理職がいなかったが、校長の他に副校長、主幹教諭、指導教諭を設置し、学校をチームとして機能することが出来るようにした。2つ目は教員の改革だ。10年ごとの教員免許更新制を導入した。これは不適格な先生を排除するのではなく、あくまでも新しい知識を習得してもらいリニューアルしてもらうためのものだ。不適格な先生は現行通り、不適格と認定されたら研修してもらい、研修してもだめなら辞めていただくことになる。3つ目は教育委員会の改革だ。保護者を教育委員にすることが義務化され、いじめなどの問題が起これば文科省が教育委員会に対し、指示や是正の要求をできるようになった。今までは指導しかできなかったが、今回の法改正で国が責任を持っていく体制が出来た。国が出てくると国家統制という批判が出てくるが、国家や政府を構成しているのは我々国民であり、日本は民主国家だ。日本は世界200カ国の中で最古の伝統を持ち、民主的な運営では先進国の中でも有数な国だ。国家の統制は民主的な手続きを経て行わなければならないが、残念ながら今までは教職員組合などのために民主的な統制がとれなかったのが戦後の問題だと感じている。引き続き、力強く教育改革を進めていきたい。



岡村久美子氏(県立塩山高校PTA会長)


 現代社会は少年犯罪の低年齢化が深刻な問題になっているが、家庭・地域が有する教育力の衰退に起因するのではないか。昔、子供は地域で遊び、地域の人々に色々教わった。皆で教え合い、助け合い、地域のつながりは非常に強いものであった。今の子供たちに必要なものは、子育てを軸にした大人の地縁、地域のネットワークではないか。
 現代社会は、物や情報は氾濫し、確かに便利に快適になった。しかし、それが豊かさだとは思わない。多くの親たちは愛情をはき違え、子供の欲っするままに物や食べ物を与えている。甘やかされたその結果、我慢も自制も知らない子供が育っている。本来、家庭は子供に人間として必要最小限度の躾をし、心と体を養っていく場でなければならない。
 社会は一人一人の人間でできている。我々一人一人が問題意識をもっていかなければならない。



天野一氏(山梨県PTA協議会会長)


 かつて子供たちは、地域社会の中で自然に人との関わり合い、気遣い、道徳心を養ってきた。しかし、地域社会の関係が希薄になった今、子供たちは地域社会から学ぶべきことを学べずにいる。
 このような地域の教育力の低下を改善するには、自分の子供だけでなく、地域のすべての子供を自分の子供と同じように育てていこうという考えをもち、一人一人が身近な地域活動から始めなければならない。



八木秀次(日本教育再生機構理事長・高崎経済大学教授)

 山梨で民間タウンミーティングを開くことは大変意義がある。山梨は全国でも極めて珍しく、非常に高い組織率を誇る山教組が存在する。山教組と教育行政は一体不可分の関係であり、県の教育行政がそのまま山教組の考え方を反映していることに問題があるので、山梨では山教組問題、日教組問題を取り上げなければならない。本日は山教組委員長に登壇要請を行ったが断られた。昨年12月に教育基本法が改正されたが、ポイントは大きく2つある。最大のポイントは、第16条に「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」とある部分で、教育は法律に基づいて行われなければならないという、ごく当たり前のことが規定されたということだ。一般の当たり前が通らない教育界では、法令、命令、規則を堂々とやぶり、捻じ曲げ、教育が行われてきたところが全国各地にある。例えば、卒業式、入学式における国旗国歌の指導について、法律の一部である学習指導要領には教職員に指導義務があることになっているが、それがほぼ成されないままの地域がたくさんある。従って、これらを含めて教職員に法令順守が義務付けられたと読み取ることが出来る。教師は教育公務員にも関わらず法律に遵わないという人がたくさんおり、あえて規定せざるを得なかった。もうひとつは「教育は、不当な支配に服することなく」とある「不当な支配」について、従来、一部の教職員組合は「不当な支配」の主体に文科省や教育委員会などの教育行政を想定していた。しかし「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」という文言が加わることによって、法律に基づいて行われる教育行政は「不当な支配」ではないということになる。伊吹文科相の国会答弁によると、法律の趣旨に沿わない、特殊なイズムをもって教育に関わろうとする人たちこそ不当な支配である。これによって法令順守義務がある教職員の政治活動は当然制限されることになる。これまで、現場では堂々と(教職員の政治活動が)行われてきたし、山梨県はまさにそうだ。3年前の参議院選挙では某党の某参院会長の選挙を教職員組合が組織をあげて行ったが、これが大して問題にならなかったことこそ問題だ。この度成立した地教行法に注目したい。今までの地教行法は村山内閣の地方分権によって文科省の地方教育委員会に対する権限をほぼ失ったものにしていた。何でもかんでも地方分権を行った結果、国の権限は無くなり地方教育委員会の権限になってしまった。地方教育委員会が一部教職員組合と一体の関係にあるとするならば、教育委員会の名の下に教職員組合の考えが現場に下りてくることになる。山梨では3年前、山教組の政治活動や違法な選挙活動、ヤミ専従の問題に関して文科省が3度の調査を行ったが県教育委員会は言うことを聞かなかった。つい最近までは言うことを聞かなくてもよい法の仕組みになっていた。教育の地方分権により地方の教育委員会が聖域化され、地方教育委員会が現場の違法行為を見逃しても、文科省が物を言うことが出来ない仕組みが出来ていた。今回、地教行法が改正されたことにより、文科省が是正の要求を出来るようになった。これにより山梨県教育委員会は山教組と一体になって好きなことが出来なくなった。文科省が是正要求できることを教育の国家統制だという言い分があるが、それは間違っている。国の権限がゼロだったものを若干戻したというだけだ。法律に遵わない教育委員会に対しては文科省ガ是正要求を出すというだけだ。
 愛知県三河地方の高校3校と中学1校を視察した。愛知県は昭和42、3年あたりに激しい組合闘争があったが、高校レ ベルでは日本教育会という団体が教育正常化を行った。教職員組合による露骨な政治活動が無いと良い教育ができる見本を見てきた。視察したある高校は、中学での成績が5段階評価中1の子供たちが多く入学してくる学校だったが、非常に規律正しい指導を行っており、茶髪やルーズソックスは一人もいなかった。上から押さえつけるわけでなく、具体的な校則をつくり、違反したらイエローカードが出され、3枚たまると親が呼ばれる。また、先生たちの服装が素晴らしく、労働者という雰囲気は全く無かった。掃除の指導が行き届いているため学校がきれいで、特にトイレはきれいだった。入学時の成績は低くても進学実績は良く、その高校の校長は、絶対にニートやフリーターを出さず、しかるべき職業に就き、税金を払えるような人生をおくるよう指導しているそうだ。


提言2





一般提言

飯窪さかえ氏(山梨県女性団体協議会会長)
 社会教育の必要性を基本にしながら活動を続けている。今、教育で取り上げなければならないのは道徳、家庭の躾である。家庭、そして地域の教育力の低下が様々な問題をもたらしているのである。幼児教育の必要性、社会教育の必要性を国政に反映してもらいたい。

清水辰子氏(山梨県PTA協議会副会長)
 子供たちを安全に心豊かに育てるため、家庭・学校・地域が連携し、社会全体で考えていかなければならない。子供たちを安全に心豊かに育てるため家庭における責任は大変重く、まず親たちがその責任を自覚しなければならないが、親たちは様々な不安や悩みを抱えている。地域が連携し、親も子供も活き活きと幸せに生活できる社会を実現させなければならない。

淡路啓二氏(甲府青年会議所副理事長)
 物質的には豊かになったが、人々の心は昔より貧しくなった。今の世の中を変えていくには、教育から変えていかなければならない。我々子育て世代が中心となり、地域社会に教育の重要性や道徳の大切さを訴えていかなければならない。教育は国家百年の大計。大人が変われば子供が変わる。

入倉要氏(山梨経済同友会幹事・自民党山梨選挙区支部長)
 国づくりは人づくり、人づくりは教育から。資源のない日本は、教育により人間力を蓄えていかなければ国際競争の中で生きていけない。時間はかかるが、教育に力を入れていかなければならない。具体的には、国語教育を充実させることである。感受性を磨き、心豊かな人間形成をしっかり行わなければならない。これについて二つ提言がある。まず、子供が産まれたプレゼントに絵本を贈り、小さなころから本に触れさせ本を読むことを身につけさせることである。次に、小学校高学年の課外授業で俳句を取り入れ、自然に触れさせ、自分の言葉で表現させることである。

花田仁氏(日本共産党山梨県常任委員)
 先日、教育三法が成立したが、国家統制を強める中身となっている。今の教育の深刻な現状を改めるには、こうした統制を強めるのでなく、教育条件を整えることが大事である。安倍首相は徳育という新しい教科をつくり、検定教科書によって特定の価値観を子供たちに教えようとしている。思想・良心の自由に反する重大問題である。優しさや他人への思いやりは強制によって身に付くものではない。教員免許に10年の有効期限をつけることになった。これにより、教員の身分が不安定になり、教員から子供たちに向かう時間を奪うのではと思う。これは、国が子供たちの学ぶ権利を奪うことになるではないか。学校現場が抱える学力やいじめの問題、教師の多忙化を解決するには、教育予算を抜本的に引き上げ、30人以下学級を実現し、教育条件を抜本的に整備することである。



会場からの提言・意見およびディスカッション


(会場からの提言)
 花田さんのご発言に一方的な部分があり残念である。ルール・マナーを守り、事実に則したお話をしていただきたい。
 トイレを奇麗にする運動がある。素手でトイレを磨き、磨き上げる中に人の汚れた心が変わっていくということである。
 実践が大切であると思う。大人は自分自身の立ち居振る舞いをただすと同時に、子供に注意する勇気をもたなければならない。今はこれが何より欠けているのではないか。

(八木秀次)
 全国の学校で、先生たちが率先してトイレ掃除をしようという動きがある。これにPTAも巻き込み、全体として良くなっているという事例がある。しかし、一方で、学校におけるトイレ掃除の運動に反対する教職員の団体もあると聞いている。

(会場からの提言)
 PTAが学校の草むしりをしている。また、危険という理由から、子供たちに窓拭きをさせていない。これでは仕事の段取りや作業自体を教えることができない。このような人たちが社会に出て何ができるのだろう。ひとつひとつ子供のうちから家庭や学校で教えていかなければならない。

(赤池誠章氏)
 私も松下政経塾時代、鍵山先生に教えを頂いた。仏教の教えにもつながるが、トイレを奇麗にすることが心を奇麗にする第一歩である。先日、衆議院の教育再生特別委員会に京都市の門川大作教育長がいらっしゃった。京都市は教育委員会がトイレ掃除を奨めている。これに対し、野党の代議士から「精神論をいってもしょうがない」と野次が飛んだが、ここに日本の教育の荒廃があると改めて感じた。

(天野一氏)
 私どもは、草むしりや窓拭きはしていない。何かをするときは親子で活動をしている。

(入倉要氏)
 自分のためでなく、人のために善意でやるというボランティアは非常に重要である。ボランティアを経験した子供たちの非行率は、そうでない子供たちよりも少ないというデータがある。因果関係は分析できていないが、このデータの意味は大きい。やはり、小さな頃から自分のためでなく公のために行動することの大切さを教えるべきではないか。

(八木秀次)
 今、コンビニに行くと「掃除道」という鍵山秀三郎氏の本が置いてある。これにトイレ掃除で学校を建てなおした事例が紹介してある。私が印象に残っているのは、広島県の非常に荒れた学校での事例である。この高校は普通科と商業科の併設された学校であるが、商業科が非常に荒れていた。当時教頭であった女性の先生が、率先してトイレ掃除を始めると、生徒達も徐々にそれに巻き込まれてトイレ掃除をするようになった。すると、商業科の進学実績が普通科を超えたという事例である。少しずつであるが、全国にこのような動きが広がっている。

(花田仁氏)
 先程、一方的とのご発言がありましたが、どのように一方的かを仰っていただきたい。私が言いたいのは、卒業式で生徒が君が代を歌っているかどうかを調べ、歌っていないクラスの担当の先生が処罰されているが、このような強制は違うのではないかということである。

(会場からの提言)
 花田氏に伺いたいが、君が代を歌いたくないのは、教えないからではないか。君が代を教えたらいけないのか。

(花田仁氏)
 日の丸・君が代については学校でも教えている。歴史的な経緯を踏まえ、君が代を歌いたくない人もいるわけである。私は、両親を大切にする、友達と仲良くするといった道徳は大事だと思う。しかし、これらは強制して身に付くものではないということを言いたい。

(会場からの提言)
 先程から、山教組の問題がでている。山教組の組織率は90%という数字であると聞いている。90%などという数字は全体主義の世界でしかありえない数字である。何か意図的なものがあるとしか言いようがない。
 学校では親孝行を教えているのか。親孝行を教えることに抵抗を覚える人もいるようだが、親孝行は一番の徳目であり最も教えなければならない。

(松浦光修氏)
 今の学校現場で教えられているのは、親孝行どころか、命は精子と卵子でつくる「物」だということだ。昔の日本人であれば、「授かる」「恵まれる」という言い方が普通であったが、今では「つくる」「できる」という言い方が一般化した。我々はどこから命を授かったのか、どこから恵まれたのか。神仏、ご先祖様、人間を超えた何かという存在を学校では一切教えていないので、両親が快楽を追求した結果が自分であり、自らの命の肯定感すら失われている。自己肯定感の喪失が中学生の4分の1が鬱傾向であるというところに現れ、自殺の増加につながっているのではないか。今の子供たちは自信がないのだ。夜に遊びまわる子供たち、リストカットする子供たち、摂食障害の子供たちに共通するのは自己肯定感の喪失であり、それは自国への肯定感の喪失と感謝の気持ちのなさからくるのだと、「夜回り先生」水谷修氏は言う。目に見えないものに感謝するという気持ちが失われて久しいから、命の大切さもわからなくなっている。まず、先祖に対する感謝、神仏に対する感謝、なにも特定の宗教を学校で教えろといっているのではない、すべての宗教に通じているのは感謝である。そして、感謝を受けたら、恩を返すということである。報恩である。感謝と報恩、この二つがしっかりできていれば人間は大きく間違うことはない。残念ながら、宗教系の学校を除き、これらが教えられていないのが現状である。

(八木秀次)
 先程、花田氏より国旗・国歌の問題において強制との発言がありましたが、事実関係だけはっきりさせておきたい。学習指導要領というものがある。これは、文部科学大臣告示という法的拘束力を持つ法律の一部である。したがって、学校の先生はこれに従わなければならない。その中に、「卒業式・入学式は国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」とある。すなわち、卒業式・入学式において、学校の先生は児童・生徒にこれらの指導義務があるということである。その指導義務を犯した先生が処分されたというだけの話である。処分されたから強制であるというのは間違いである。強制とは、子供たちの口をこじ開けて歌わせることや、歌わなければ家に帰らせず、ずっと歌わせたりすることである。

(会場からの提言)
 ある小学校の取り組みで、食事・生活習慣の改善指導をすることにより学力向上につながったという事例がある。このような好事例はどんどん取り入れるべきではないか。

(会場からの提言)
 今、社員の個性やキャリアをいかに伸ばすかという観点で会社が教育している。こういう観点を現代の教育に取り入れるべきでないか。人の意見を聞く力、事実を判断する力、問題点を認識しどう行動するかを判断する力、成績ではなくそういう能力を学校で培って欲しいと思う。

(八木秀次)
 半分は理解できる。しかし、大きな相関関係として、学校の成績と総合的な人間力は相関関係があると思う。例えば、ソニーは学歴を伏せて採用するが、大学や学歴がバラバラかというとそうでない。今、世の中で問題になっている、あるいは、子を持つ親たちが一番悩んでいるのは、公立の学校に行っているだけでは十分な学力が付かない、そして、そのことと規範意識の低下が相関関係にありそうだという事である。これが公教育への不満として現れていると思う。

(会場からの提言)
 三歳で小児麻痺になり四肢が不自由になった。当時、養護学校がなく、普通の学校に通った。毎日山道を母に背負われ学校に通った。その母との時間が人生のすべてを教えてくれた。母に大変感謝している。障害者が普通の学校に行けることは大事であると思う。治療が必要であれば特別な所へ行かざるを得ないが、可能な限り本人および家族の意向を酌んでいただければと思う。

(赤池誠章氏)
 皆さんの話を伺い、キーワードとして挙げられるのは「地域の教育力」である。規範とは個人が主体的に道徳心を持つというのではなく、すべて連関した社会、地域の中に規範が生まれ育っていくものである。歴史や伝統文化をしっかり守り、足りない分は、法律や予算措置をしていくことが大事である。
 山梨の教職員組合についてであるが、現場の先生方は大変立派な素晴らしい方々が多い。一人一人が良識のある立派な社会人であっても、組織の枠にはまった時、法令違反を犯してしまうという仕組では問題がある。個人が素晴らしくても、チームとして全体が機能しなければならないのである。ここを制度として機能するよう改善したのが、教育基本法改正であり、教育三法の改正である。

(会場より提言)
 私は高校の先生であり、学校を大変愛している。愛校心とは、校長先生を批判してはいけないということではなく、皆で意見を出し合い学校をより良くしていこうという事だ。愛国心も皆で意見を出し合い、国を良くしていこうというのであれば賛成である。しかし、安倍首相が言ったことに従わなければいけないというのは反対である。道徳についても大切であると思う。しかし、国が徳目を決め、それを指導しなければならないとなるとおかしなことになるのではないか。地域教育についてであるが、山梨県の教育システムは全国でも稀有な存在であった。昨年まで小学区総合選抜制という制度がとられ、地域の子供はみな地域の同じ高校へ進学でき、地域の教育力は大変高かった。しかし、競争原理を取り入れた制度へ変更され極めて残念である。やはり、地域の声を取り入れた協議をするべきである。

(会場からの提言)
 教育は国家百年の大計であるといわれる。やはり、教育を大事にしてもらいたい。具体的には、教員の数を増やしてほしい。現状では忙しすぎる。そして、現場や父母や子供たちの意見を聞いていただきたい。これこそが、教育を良くする近道であると思う。

(八木秀次)
 教師の多忙感はなんとか解決しなければならないし、教育予算が低い点も問題である。小学区選抜制については賛否が分かれるところだと思う。学区を広げ色々な学校へ行けるようにした方がいいのか、地域の子供たちは地域の同じ学校へ行った方がいいのか、皆様の意見を聞きたい。私が全国で聞く限りでは、一般の親御さんたちは、学区を広くし選択肢を広げた方がよいという意見が多いと感じる。また、私自身、総合選抜制を経験し、学力がガクンと落ちた経験をしている。勉強したつもりであったが、全国的にレベルが低く、その後、大変苦労をした。
 愛知県は、尾張地区と三河地区の二つにだけ分けた大学区である。最後に訪れたのが県立刈谷高校である。愛知県では県立岡崎高校が進学実績トップで東大に三十数名進学する。それに次ぐのが、刈谷高校で東大に十数名進学している。両校ともこれだけの実績を学校教育だけであげているが、これは広範な学区から生徒が集まり、そして両校の競争の結果であると現場教師は評価していた。

(岡村久美子氏)
 色々な方から意見を聞くところによると、成績の良い方は進学実績のよい高校へ行きたがる。また、親も進学実績の良い高校へ行かせたがる傾向がある。しかし、進学実績が良い学校が果たして良い学校といえるのか。
(赤池誠章氏)
 今年、山梨県は全県一区の高校改革がなされた。単純に伝統高や進学実績の良い所に集まるのかと思ったが、聞くところによるとそうでもないようである。それぞれの学校の特色や個性が活きているようである。選択肢が増え有効ではないか。

(会場からの提言)
 私は学力を上げることが教育の再生でないと思っている。子供が社会性を身に付け社会に出てくることが重要であると考えている。

(八木秀次氏)
 東京の杉並区に和田中学というところがある。元リクルートの民間人、藤原和博氏が校長を務めている学校である。この学校の取り組みをご紹介する。地域社会が学校を支えるといっても、都会ではすでに地域社会は壊れている。ならば、地域社会を学校で再現しようというのである。地域の人々が中学校へ集まり、一つの取り組みを行う。それにより地域住民の意識を高め地域社会を再生するのである。よく家庭・学校・地域の連携が大切であるといわれるが、どこが音頭をとるのだと論議している間に終わってしまうことが多い。和田中では学校が音頭をとり成果を上げている。

(赤池誠章氏)
 今年、全国学力テストが実施された。学力と人間力の相関関係を考えるか否かで評価も変わってくるが、我々の山梨教育が全国でどうなのか、しっかり見ていかなければならない。全国学力テストに伴い、生活習慣態度を調査している。「早寝・早起き・朝ごはん」が良いといわれているが、全国の実数調査で相関関係がでてくるということで非常に興味深い。

(会場からの提言)
 なぜ自分の国を愛することが戦争につながるのか、余りに短絡的な見方であると思う。教育には理念が必要である。連綿と続く国家の歴史と伝統に敬意を払う精神が、今の学校教育に必要ではないか。

(会場からの提言)
 22歳の娘が、自己肯定ができず自信を持てないでいる。教育においてIQや進学も大切であるが、多様な子供がいる教育現場で、一つの尺度のみで子供に接することはやめてほしい。子供には居場所が必要であり、これを確保することが教育再生ではないか。

(会場からの提言)
 教育政策がブレているが、この国の教育理念はどこのあるのだろうか。教育は5年、10年のスパンでできるものではない、長いスパンでしっかりとした教育理念を持って教育政策を行ってもらいたい。家庭・学校・地域の連携が大切であるが、皆が集まる行事の時に集まることができる環境を整えることも大切であると思う。

(会場からの提言)
 長野県は、全小学校で30人学級が実現できている。山梨においてもこの点を実現してほしい。

(松浦光修氏)
 競争を一概に悪ということが、果して正しいのか。私自身、勉強は得意であったが、運動はダメだった。運動会では毎回ビリだった。しかし、これは有難い体験であった。教師を続けてきて色々相談を受けるが、どのご父兄にも共通して言うことが一点ある。自分が子供を何とかしてあげたいと思うことは大変結構なことであるが、親が先に死ぬということをお忘れになっている。いつまでも守って上げることは不可能であり、子供はやがてその荒波の中を一人で生きていかなければならない。荒波の中で負けさせないようにするのではなく、自分で立ち上がる力をつけてあげることが、大人の子供に対する本当の愛である。

(赤池誠章氏)
 今すぐできる教育改革を一点提言したい。学校長の在職年数を長くするという事である。平均の2、3年では改革などできない。これは教育委員会の人事権であるからすぐにできる改革である。