「教育再生民間タウンミーティングin静岡」に400名が参加
 
 日本教育再生機構主催の「教育再生民間タウンミーティングin静岡」が平成19年3月11日(日)、静岡県静岡市の静岡県コンベンションアーツセンター(グランシップ)で開催されました。

 登壇者は原田誠治氏(静岡新聞社常務取締役・元編集主幹)、杉山茂之氏(静岡青年会議所理事長)、秋山欣三氏(静岡市立小中学校PTA連絡協議会会長・静岡県PTA連絡協議会副会長)、杉山直子氏(財団法人モラロジー研究所・社会教育講師)、深沢直幸氏(静岡県立沼津商業高等学校教諭)、八木秀次(日本教育再生機構理事長・高崎経済大学教授)の6名が参加しました。

 会場には教育関係者や保護者をはじめ、静岡各地から集まった約400名が参加しました。雄大な富士の裾野での熱気あふれるタウンミーティングとなりました。会場からの提言では時間が足りなくなる程、提言を希望する参加者が多く、意見の対立する論点では会場が緊迫する場面もありました。これもヤラセなしの民間タウンミーティングならではといえるでしょう。

―in静岡の報道記事 H19.3.12付「静岡新聞」web版
                             H19.3.12付「静岡新聞」夕刊
H19.3.13付「産経新聞」
H19.3.13「産経新聞」(静岡版)

 
 
「教育再生 民間タウンミーティングin静岡」の内容紹介

 


 
【開会の挨拶】
高橋聞一氏(教育再生民間タウンミーティングin静岡実行委員長・元島田市教育長)
 戦後のGHQによる日本改造から60年、票にならないと言われる憲法改正・教育基本法改正を前面に掲げた安倍内閣が誕生した。そして、美しい日本の再生を目指し教育再生会議を立ち上げ教育の再生を訴えている。しかし、教育を再生するには、原点に立ち返り、教育を本質から見直し、根本から立て直していかねばならない。そこで、このタウンミーティングを通じ教育再生の第一歩への一助になればと考える。




【主催者代表挨拶】
八木秀次(高崎経済大学教授・日本教育再生機構理事長)
 日本教育再生機構は昨年の10月に発足した新しい団体である。政府の教育再生会議は「教育再生」という点で我々の後追いである。我々は、これまで個々別々に活動してきた様々な教育関連団体や個人を緩やかなネットワークで結び、学校・家庭・地域が力を合わせ教育再生に取り組んでいく場を提供しようとする団体である。
 民間の立場から政府の教育再生政策を支え、積極的に提言していくべく教育再生民間タウンミーティングを全国で開催している。
 では、なぜこのような運動をしているか。この運動にはモデルがある。1969年から約10年間、イギリスで教育黒書運動が行われた。当時イギリスの教育状況は今日の我が国の現状に非常に似ていた。所謂英国病といわれた疲弊した状態にあった。「その原因は教育にあり」と、民間より保護者・教育関係者並びに政治家・地域団体など広く教育に関わる人たちが一堂に会し、全国でミニ集会を開いた。そして、教育の現状を告発し問題点を浮き彫りにし、代案を示した。これが教育黒書運動である。その運動が世論を動かし、結果、1979年5月サッチャー政権が誕生した。サッチャー政権は、10年間の教育黒書運動の成果を積極的に取り入れ、大胆な教育改革を行い、英国病を克服した。
 我々は、サッチャー政権の改革を真似しようとするのではない。民間の力により政府を動かし、教育を変え、国を立て直したという教育黒書運動の姿勢を学ぼうとするものである。
 本日のタウンミーティングでも、様々な広く教育にかかわる方々にお集りいただき、それぞれの立場から教育再生への提言をいただきたいと考える。
 過去のタウンミーティングの提言は、7項目の提言にまとめられ、去る12月22日、教育再生会議に提出した。一月に入り、教育再生会議の第一次報告が発表された。その内容は、我々の報告した内容を取り入れられたものとなった。我々民間の立場から教育再生を提言する声が政府に届いた証であろう。
 タウンミーティングというと政府のヤラセが想起される。しかし、我々の手によるタウンミーティングにヤラセはない。皆さんの切実なご意見を聞かせていただき、その声を政府に届け、日本の教育政策に反映させたいと考える。

【提言1】


「感謝する心・思いやりの心の大切さを伝える青少年教育」
杉山茂之氏(静岡青年会議所理事長)
 昨今、メディアでは家族の命を奪う痛ましい事件が報道されており、凶悪犯罪は増加の一途をたどっている。戦後、日本は世界に類を見ない経済成長を成し遂げ、物質的経済的豊かさを手に入れた。しかし、それらは利己主義や拝金主義のみをもたらし、心の豊かさは置き去りにされてきたと考える。今、このような時代だからこそ、人間らしい心の豊かさが大切であると考える。この心の豊かさ、感謝する心、思いやりの心を取り戻すことこそ、凶悪犯罪やイジメの問題等様々な問題を解決し、我々の目指す明るい豊かな社会実現の一歩となる。人間は一人では生きられない。家族や隣人の助けや支えがありはじめて生きることができる。しかし、これらは忘れがちであり、また、当たり前のことと思いがちである。今、我々に大切なことは、身近な家族や隣人に対し感謝する心や思いやりの心を抱き、生かされているということを決して忘れてはならないということ、そして、「感謝する心、思いやりの心」を未来を担う子供たちへしっかりと伝えていくことである。
 子供たちが、安心して平和に暮らすことができ、そして将来に夢を抱くことができる社会を取り戻さなければならない。




「家庭教育の原点である親の道徳心の向上を」
杉山直子氏(財団法人モラロジー研究所社会教育講師)
 本日は、母親としての立場から提言したい。最近の現状をみると、大人や親自身の道徳心の欠如が散見される。戦後60年、公より個を重視する教育の弊害がでている。まず、自分の子供を立派に育てることができるのは親のみであるという認識が必要である。そして、親自身の道徳心の向上が不可欠である。
 昨今の親は非常に教育熱心だが、親自身の道徳感がずれていれば子供は健全に育たない。健全な子育てとは、頭のいい子を育てることではなく、思いやりの心、自律の心、感謝の心をもった子供に育てることである。親自身の日々の言動の積み重ねにより育むものであり、親の後ろ姿が子どもの心に植えつけられるものである。幼児期教育こそが重要である。子供は素直な心を持っている。大人がきちんとした後姿を見せれば子供の心に響くものである。子は親を映す鏡。親の教育こそが最も必要であり、未来を切り拓くのである。




「家庭教育と学校教育について」
秋山欣三氏(静岡市立小中学校PTA連絡協議会会長・静岡県PTA連絡協議会副会長)
 本来家庭で教えるべきことが家庭で出来ておらず、その皺寄せが学校へ来ているのではないか。それは保護者の責任放棄である。子は親の背中を見て育つものである。
 不適格教師と指導力不足の教師は違う。不適格教師は社会人として失格であり、子供の前からいなくなるべきである。不適格教師の排除は、本来教育界自体で行うべきであるが、公務員の世界であり、業界内ではできない体質にあると思う。しかし、この不適格教師排除こそやるべきであり、その方策を探らなければならない。
 ゆとり教育の週五日制は、公務員の週休二日制と同義である。ゆとり教育は後付けの言い訳に過ぎない。教師が週二日休むのは良いが、学校が二日休む必要はないと思う。代わりの教師を用意し週六日制は堅持すべきである。




深沢直幸氏(静岡県立沼津商業高等学校教諭)
 安倍政権は戦後レジュームからの脱却や美しい国へということを掲げている。教育は国家百年の計である。教師は目の前の生徒に全力で向き合うべきである。すべてを彼らに捧げていれば生徒は変わり、そして日本は必ず変わる。そのためには教師が変わらなければならない。教師が勉強する姿を見せていれば、自ずと子供も勉強するようになるのである。すなわち、指導方法の問題でなく、先生の志の問題だ。先生が志を持ち、夢(個)でなく志(公)を持つ子供を育てる教育こそ大切だ。




「子供たちの理解力を上げることに全力を挙げよ。」
原田誠治氏(静岡新聞社常務取締役・元論説主幹)
 ゆとり教育の功罪が取り沙汰されているが、ゆとり教育に罪はなく、功のみがあると考える。社会はゆとり教育を誤解している。量と質を峻別し、量でなく質で計る教育を目指すべきである。本当の学力は、ペーパーテストで計れる量の学力でなく、学ぶ意欲や考え方、判断する力、人間が人間たる基本、生きる力などの質の学力なのである。我々が本当に欲しい学力は、他人の痛みがわかる、他人の身になる力である。改定された学習指導要領はこれこそを目指している。
 日本の先人、偉人が学んだ時代は読み・書き・算盤など、いわば基本・基礎だけの時代であったが、時代を支えてきた。どうしたら子供たちの理解力を上げられるか、これこそを教育改革の柱にして欲しい。具体的には、教師の教育力の向上を図る、習熟度別学級の実施、少人数学級の実現、そして、総合的な学習を子供の成長に合わせ導入し情操教育を取り入れる、これらが不可欠である。




八木秀次(日本教育再生機構理事長・高崎経済大学教授)
 安倍首相も教育再生会議も、子供たちに確かな学力を身に付けさせると言っている。具体的な提案として、授業時間数を10%増やすと言っている。この点については大いに賛成で、この具体的方策として、週六日制に戻すのも一つの考えであると思う。
 私は、ゆとり教育に反対の立場である。その背景にある教育観に大いに問題があるからである。その教育観とは、子供中心主義・児童中心主義といわれるもので、子供たちになるべく強制をせずのびのびと自由にさせる考え方である。学習指導要領で教育内容を三割減らしたことになっているが、最盛期に比べると半分になっている。文科省は、学習指導要領は最低基準であり、その上の段階は発展的学習で個々の子供たちの学意欲に任せると言っているが、子供の自主性に任せることは問題である。また、子供にのびのびと自由にさせるという趣旨で、教育の現場では、「指導」という言葉はほとんど使われておらず、「支援」という言葉を使っている。「指導」は教師主体の言葉であり、「支援」は子供を主体とする言葉である。つまり教育から強制力を排除し、子供たちの学意欲に任せるということである。しかし、子供たちの学ぶ意志、意欲に任せていていたのでは身に付かないことが沢山ある。ある場面においては、彼らの意思に反してでも身に付けさせねばならないものがある。
 アメリカのレーガン政権後期にハーシュという学者が「教育というものは文化の伝承である」という非常に興味深いことを述べている。アメリカ人であるならば必ず知っておき、身に付けておかねばならない規範を教えることが国民教育であるというのである。日本に置き換えれば、子供たちを文化的な意味での日本人にする教育が国民教育に他ならず、日本人にするためには、子供たちの意欲だけに任せていたのではだめなのである。
 いま、小学校に入学してくる子供には、机についていられない子供が非常に多い。これは家庭教育の問題もあるが、幼稚園の段階から子供中心主義の考え方である自由保育を行い、子供たちの選択に任せ、本来身に付けさせるべき教育をしていないことの現れである。平成6年に村山内閣が発足し、翌7年に日教組と文部省が歴史的和解を果たした。実は、ゆとり教育の発想自体は日教組が主張していたものであり、それを文部省が積極的に取り入れたという経緯がある。それが現在の学習指導要領に反映されている。
 本企画で全国をまわり感じるのは、現場の先生たちは非常に忙しく悲鳴を上げていることだ。その原因の一つは子供中心主義を背景とする学習指導要領にある。発展学習、総合的学習の時間を上手に運営できる先生はそう多くない。そして、これができないということで、指導力不足を問題とするようになった。日教組の先生達は、自分で自分の首を絞める結果をもたらしている。非常に忙しく、非常に疲弊しているのだ。
 かつては、師範学校を卒業したばかりの先生でも、明治5年以来の近代教育の体系があったから十分教えられた。立派な教育ができていた。しかし、それが徐々に壊され、今日、その体系はなくなろうとしている。なにも体系のない中で個々の先生の力量が問われる、これは現場の先生たちにとって非常に気の毒なことである。
 今後、取り組むべきことは、近代教育の体系を立て直すことである。従来、学校の先生達は例えるなら役者であったといえる。教科書、指導書等の台本があり、これらを上手に子供たちに伝えるという役割を果たしてきた。今日は脚本を書け、監督もしろと求められ、忙しくて疲弊する。これが今日の先生達の姿ではないかと思う。
 繰り返しになるが、今の学習指導要領の背景にある子供中心主義という発想では、子供たちの学力が下がるのは当然である。規範意識が低下するのも当然である。これで、国際競争社会を生き抜くことはできない。日本は資源のない国なので、教育力のみでもってきたところがある。インドや中国やアジアの国々は、教育に力を注ぎ、予算も潤沢に確保している。日本でも、文化的歴史的意味でのしっかりした日本人を育てる教育が必要であり、単に授業数を10%増やせばよいというものではない。





【提言2】

一般提言者1
 現在3人の子育てをしている。ゆとり教育をうけてきた今の子共たちがどのように社会貢献していけるのかを大変気にしている。そこで3つ提言したい。1つ目は善と悪の判断をつけるため道徳の時間を多くしてほしい。2つ目は、偏った思想ではない日本の正しい歴史を学べる授業をつくってほしい。自分たちの子供は、日本人でありながら日本人としての教育をされていない。3つ目は、教育は人づくりだから日本人として世の中や世界に貢献する意識を育む教育をしてほしい。

一般提言者2
 日本は戦後、経済大国になったが、権利と義務の権利だけに走り、個人主義や勝手主義に流れた。戦後60年間でこのようになってしまった世の中を回復し元通りにするには100年はかかると思う。全員が人としての常識を見直す勇気を持って明日に歩みだしてほしい。子供は0歳からの躾が大事だ。毎朝、おはようの挨拶を子供たちにかけることが第一歩だと思う。

一般提言者3
 娘はADHA(注意欠陥・多動性障害)という障害を持っている。娘は小学校1年生からいじめられていた。診断書を学校に提出し、担任にも相談し、児童相談所にも通ったがいじめは止まらなかった。担任に「相手には相手の言い分があり、いじめられる方にも問題があるのではないか」「障害からくる行動は躾の問題ではないのか。家庭内の問題が行動に表れているのではないか」と言われたこともあるが、親身になってくれた先生も多くいた。親にも子供にも担任を選ぶことはできない。子供たちにとって大きなウェイトを占めている学校生活が楽しいか楽しくないかは担任の先生しだいだ。先生にもっと力量をつけていただきたい。最近では国の発達障害に対する関心も高まったが、障害者手帳が交付されない程度の発達障害者にも働ける場をつくってほしい。また、そういう社会の実現をお願いする。

一般提言者4
 モラロジーの創立者、廣池千九郎法学博士は「人生とは人間生活の人と生をとって人生という。人間生活とは心の生活と肉体の生活だ。心の生活は心遣いの生活、肉体の生活は衣食住であり、したがって心遣いの生活は道徳であり、衣食住の生活は経済生活である。心と肉体は切ることができないので、道徳と経済は一体でなければならない」と教えている。最近はモラルの低下による諸問題が発生している。利己主義の世の中になっている。今こそ、日本の長い歴史で培われてきた和の精神、思いやりの心、謙虚の心、譲る心、感謝の心、報恩の心、自己反省の心で人の役に立てるように努力したい。

一般提言者5
 花による情操教育の実践について話したい。子供たちに一輪の花をよく見、一番美しいところをみつけ、誰かの為に活けてあげましょうと話し、花を活けてもらう。授業の都度、子供たちの声や感想に感動させられる。先生も日頃見ることができない子供の心に触れ大変感動したと話してくれた。

一般提言者6
 学校から依頼された講演で、思いやりの心、挨拶、よく聞く、感謝の心、ありがとうをテーマに小学校1年生から6年生までの顔と目を見て話した。次のテーマとして親から先祖までずっと続いてきた大切な命を話した。最後のテーマで目に見えない大切な物として、花を支える枝、枝を支える幹、幹を支える根、根は見えないが大切で、根はお父さんお母さんであり、先祖であり、恩人であることを話した。皆しっかり聞いている。本当は親がやらなければいけないが、人は教育によって人となる。真の道徳教育、正しい歴史教育は魂だ。身近な足元から実行することが大切ではないかと思う。




会場からの提言者1
 ゼロトレランスの徹底を提言したい。犯罪レベルのいじめは現場で対応できない。子供たちが安心して学べる環境を外側から充実させてあげたい。

会場からの提言者2
 いじめに加担するような教師もいると聞く。学校には正義というルールで支配していただきたい。教育委員会のメンバーは教育出身者ではなく、弁護士や警察出身者や経済界の方をいれて教育委員会を変えていくべきだ。いじめを処罰する法も作るべきだ。

会場からの提言者3
 子供がいじめにあっている。学校から紹介されてこの会に参加した。子供を毎日戦場に送り出している気持ちでいる。いじめに対して謝る勇気や更正する努力を子供たちに教えてほしい。加害者の子供にも救いの機会をあげてほしいと思う。学校の先生ひとりひとりが志を持ち、子供たちを教育する責任を持てば子供たちも変わる。政治に左右された教科書を作るのではなく、政治に左右されず、伝承・文化など日本の子供たちに与えてほしい教育を専門家にはお願いしたい。民間で学校を調査できる組織を作ってほしい。

会場からの提言者4
 自分は退職教員だ。学力向上の為に文科省が実施しようとしている全国一斉学力テストはいじめを助長する土壌を作る。競争を激しくすれば、小さい時から優越感と劣等感が作り出されていく。イギリスでは失敗している。自分のことしか考えない子を作る土壌だ。エリートを作るための能力主義的なことは止めていただきたい。戦後教育を全部否定し、国家を大切にすることを中心とした方向に教育を向けるのは危険だと感じる。現場の子供や生徒を中心に考えていただきたい。




ディスカッション

原田氏
 世間一般では習熟度別学習を差別教育と捉えている部分がある。体育の授業で習熟度別をしても文句は出ないが、何故、知力を育てる場では習熟度別がだめなのか分からない。公教育の最低限の責任は落ちこぼれを作らないことだと理解している。習熟別に分け、分からない子は時間をかけて引き上げ、いろんな方法で子供を救済していくことが必要だ。

深澤氏
 今の時代だからこそ子供と正面から話をする時間が必要だ。いじめは規範意思だから、子供に向かってだめなものはだめだと本気で教える機会を父親が作るべきだ。先生がショートホームなどでいじめや人生について毎日子供たちに本気で語りかければ学校は変わるはずだ。国家については、明治維新や60年前の戦争にも光と影があり、影の部分を表面的な議論ではなくしっかりと認識する必要がある。そういうところから国家を考えれば良く、始めから国家ありきということはない。



秋山氏
 いじめにはいろんなパターンがあるが、犯罪行為とは区別しなければならない。いじめを法律で処罰するのは難しいと思うので、まずは先生方と話し合うためPTAを利用して解決したら良い。

杉山直子氏
 子供よりも親自身の受け止める力が大切で問われるところだと思う。

八木秀次氏
 自分の子供がいじめられて怪我をした時、夫婦で学校に行ったが先生がだめだったので最終的には転校という手段をとらなければならなくなった。いじめの問題は深刻であり、勇気を持って公表し自分だけで抱え込まないのが重要ではないかと思う。いじめを起こさせない教育を語る時に、道徳教育の必要性があまり語られないのが不思議だ。子供たちの発達段階でしっかりとした徳育をする必要がある。

原田氏
 愛国心については普段ことさら意識しなくても、毎日の生活の中に国を大事にすることが溶け込んでいれば良い。国旗、国歌を法律で規定しなければならないようになるのは、国旗、国歌に対してことさら異議を唱える人たちがいるからだ。愛郷心も郷土愛も国を愛する心に繋がっていると思う。

会場からの質問
 全国一斉学力テストについての見解を聞きたい。

八木秀次氏

 全国一斉学力テストの実施でいじめが助長されるとは思わない。問題になるのはテストの実施内容だ。

原田氏
 いじめは拡がって潜在化しているので教育界をあげていじめ問題に真剣に取り組んだほうがよい。子供は生まれながらに排他性や凶暴性や自分にこだわる性質を持っている。それが親兄弟や友達と接するうちに削られ、他愛性や慈悲の心に置き換えられていくことが心の成長である。心の成長がうまくいかない子は他人の人格を無視したりいじめたりするところに歪として出てくる。学校の先生がいじめ問題を指導するのは至難の業だ。先生は多忙だからいじめ問題を抱えるとお手上げになってしまうので校長と教頭が担任の先生を助けることが大事だ。先生にいじめを相談する子供が「もう少し頑張る」「自分でやってみる」と言いだしたら、その子にとっては最後の段階にきている。本当のいじめ対策はここから始めなければならないということを先生に認識してほしい。