4/15 参議院総務委員会
八木理事長が民主「地域主権改革」批判
―東国原宮崎県知事らとともに国会参考人質疑に―

◆国家を前提としない「市民主権」
――民主党の論拠は、松下圭一法政大学名誉教授
◆国家権限の地方委託は「言論テロ(鈴木寛・文部科学副大臣)」と指摘

 4月15日、参議院総務委員会において、鳩山政権が唱える「地域主権改革」をめぐって国会参考人質疑が行われました。
 発言した参考人は、長谷部恭夫東京大学法学部教授、八木秀次高崎経済大学教授、東国原英夫宮崎県知事、熊谷俊人千葉市長(発言順)。

 八木理事長は、
・「地域主権」や「新しい公共」の政策は、松下圭一法政大学名誉教授(丸山眞男門下)の「信託説」、あるいは「政治主体としての市民主権」「国家観念の終焉」の論理をオリジナルとすること、

・松下説は憲法や行政法の学界では教科書に載らない「新奇な」説でしかない。しかし、国家統治を前提としない 地方自治が認められれば、外国人の公務員採用や地方参政権も成立してしまうこと、

・これらを国民に明確に知らせず、学界の合意もないままに進めることは「言論テロ(鈴木文部科学副大臣)」であり、地域主権の法案化に問題が多いこと、

などを指摘しました。

 以下、その発言要旨と質疑応答の様子を簡潔にお伝えします。

■「地域主権」は憲法の読み替え

「地域主権」に関する閣議決定、鳩山首相の所信表明演説や施政方針演説、「民主党政策集インデックス2009」などの内容を見ると、次のような言葉が並んでいる。

「本当の国民主権の実現」、「地域のことは地域で決める『地域主権』」、「この国のあり方を大きく転換させる」、「国のかたちの一大改革」、「鳩山内閣の改革の一丁目一番地」「地域主権革命」など。

 これは鳩山首相お得意の内容空疎な美辞麗句ではない。非常によく考えられた明確なイデオロギーが表現されたものだ。

 また、「インデックス2009」には「地域主権国家の母体は基礎的自治体(現在の市町村)」、国と地方の「補完性の原理」、住民投票法、「地方が独自の判断で自治体や議会を決める」、外国人地方参政権などが挙げられている。

 通常、国家のみに許される主権が地域にあるとする「地域主権」とは単なる文学的修辞ではない。
 憲法の大胆な読み変えを意図したものだ。

 ここで問題となるのは、地方自治権の根拠とは何かということだ。

■すべては松下圭一説に行きつく

 地方自治権の根拠をめぐる学説は、(1)固有権説(西欧中世の自由都市など)、(2)伝来説(近代国家の国家統治権に由来する)、(3)憲法伝来説(伝来説を基盤にしながら憲法の規定に伝来する。通説)の3説があり、憲法や地方行政に関する一般的な教科書には、この3説しか出てこない。

 しかし、別にもう一つ、(4)信託説がある。
 これは法政大学名誉教授で政治学者の松下圭一氏の説だ。

 松下氏は、ジョン・ロックの社会契約説などを根拠としながら、政府を自治体政府、国家政府(中央政府)、国際機構の三つに分割し、市民を出発点としながら、市民が主体となってそれぞれのレベルで社会契約を交わすことから、この3つの政府機関が並立すると主張する。

 今政府で検討されている「地域主権」は、じつはこの松下氏の理論に基づくもので、松下氏の『日本の自治・分権』(岩波新書、1996年)に収録された「(労)自治体理論の基本構成」という論文の中に、その考え方や方向性が示されている。
「市民自治から出発する自治・分権政治の造出」(松下氏)、これが「地域主権」のことで、国は「自治体との関連では基準行政をになうにとどまる」と述べている。
 また、「政治主体としての主権市民」、「市民が基本の政治主体」(松下氏)とも言うが、民主党はかつて「市民が主役の民主党」というキャッチフレーズを唱えていた。

 その他、「基礎的自治体(市町村)」の行政が基本で「広域自治体(都道府県)」はそれを「補完」し、国は広域自治体を「補完」するなど、「インデックス2009」の論理も、松下氏の信託説からでており、「基礎自治体」「広域自治体」という用語も松下氏の造語だ。

 論理構成から用語までが、ほぼ重なっている。

■国家を前提としない「市民自治」


 その他、松下氏の著書からキーワードを拾えば、「国家観念の終焉」、「国家主権観念の崩壊」、「明治国家の解体・再編」、「複数政府信託論」、「国家観念は必要ありません」。

 つまり、国家を前提としない地方自治を構想しようということであり、国家統治権を媒介しないで地方自治権を確立しようということであるが、これらは果たしてありうるのか?

 また、彼らが言う「市民」は国家を前提するものでない。
したがって市民は国民である必要はない。国籍も必要ない。
 さらに、国籍を問わない市民が作る自治体での「自治立法」や「国法の自治解釈」、「自治体外交」まで行えるとする。
国籍も問われないから「外国人の公務員採用」も可能となる。

 松下氏は「自治体基本法として基本条例をつくる必要がある」とも述べている。
 これは、さまざまな自治体で作られている自治基本条例のことであり、今の地方の動きは松下氏のシナリオどおりに動いているように見える。

 松下氏が唱えるように、国家統治権を前提としない地方自治権が論理的に成り立つことになると、自治基本条例により地方自治体において外国人参政権が認められるという事態にもなる。

 少なくとも論理としてはそういう展開になる。

■イデオロギー先行の「地域主権」

 さらに松下(圭一)氏は、国は「基準行政を行うにとどまる」、「行政機構が公共政策・政府政策を独占できない」と述べている(『日本の自治・分権』「X 自治体理論の基本論点」)。
 これは鳩山首相の唱える「新しい公共」の考えそのものである。
 すなわちNPOなどとの協働、「市民自治」による「新しい公共」の「創造」も、松下説が元となっていることを示す。

 ここで「地方分権」について、学界のオーソドックスな見解で、代表的な学者の見方を挙げておくと、原田尚彦東京大学名誉教授によれば、「…しかし、一九九〇年代以降、国際化の時代を迎え、国家主権が相対化する反面、地域主義・地方分権思想が台頭してくると、右のような地方公共団体の憲法上の位置づけに疑問が提示され新奇な見方が示されるようになった」(原田『〈新版〉地方自治の法としくみ 改訂版』)。

 ここで原田氏のいう「新奇な見方」とは、松下説の憲法解釈ことである。
 それは、
「憲法は地方公共団体を国家機構の一部としてではなく、国家と対等に並存する機構としているというのである。地方公共団体を国政を担う国(中央政府)と並存しこれと対等な立場で地域を統治し地方行政を営む地方政府と位置づける中央政府・地方政府対等並存論は、いささか突飛なイデオロギー的憲法解釈といわざるをえないが、こうした憲法論が地方分権・地方自治の強化に向けての制度改革に大きなインパクトをあたえたことは、疑いない」。
 
 また、「自治の理念の強化とは裏腹に、政府主導による地方行政の標準化・均質化が強力に推進され、自治の実質は後退・希薄化して、むしろ実体的には中央集権化が進んでいるようにさえみえる」と、
地方分権によりむしろ中央集権化が進んでいると皮肉まで述べられている。
 
 これは、中央政府による地域主権の押し付けとすれば当たっている。

■ 民主党政権の本音は?

 最後に、鳩山首相の周辺が一体何を考えているのか、よく分かる資料がある。

 首相の施政方針演説の振り付けをしたといわれる劇作家の平田オリザ氏、演説の原稿を書いたとされる松井孝治官房副長官らは、内輪の会合ということで気を許したのか、今年の2月「友愛公共フォーラム発足記念シンポジウム『鳩山政権と新しい公共』」という会合において、次のように発言している。

・平田オリザ氏 : …鳩山さんとも話をしているのは(略)、やはり21世紀っていうのは、近代国家をどういう風に解体していくかっていう100年になる(略)。しかし、政治家は国家を扱っているわけですから、国家を解体するなんてことは、公にはなかなかいえないわけで、(それを)選挙に負けない範囲で、どういう風に表現していくかっていうこと(が)、僕の立場。

・松井孝治氏 : 要はいま、平田さんがおっしゃったように、主権国家が、国際社会とか、地域の政府連合に、自分たちの権限を委託するって流れ。(略)

・平田氏 : 国にやれることは限られるかもしれませんっていう(略)実はすごく大きな転換を、すごく巧妙に(略)、(演説に)入れているつもりなので、(略)

・鈴木寛氏 : 内閣総理大臣が中央政府には限界があるということを、思わずっていうか、断固いってしまったっていうことは、言論テロリズムでもある。

 ここに民主党政権の本音が全部でている。平田氏がいうように「国家を解体する」ことを「選挙に負けない範囲」で、「すごく巧妙」に進めていること。

 また、松井氏は松下圭一氏の学説を非常に正確に理解している。
 すなわち「主権国家が、国際社会とか、地域の政府連合に、自分たちの権限を委託する」。まさに松下氏の信託説そのものだ。
 
 国家の要らない地域主権、国家統治を前提としない地方自治、国家と無関係の地方行政の実現である。
 民主党のいう「地域主権」が何を意味しているか、明らかであろう。
 しかし、これらを明確に国民に知らせることなく、学界での合意もないままに、数の力で押し切るのは、国民を欺くものである。
 
 鈴木寛文部科学副大臣の言葉にあるように「言論テロリズム」、あるいは「テロリズム」そのものだと、私は考えている。

■世耕弘成参院議員(自民党):
 八木先生のお話はまさに目からウロコが落ちる思いだ。
 民主党政権の中で使われている奇妙な一連の新語・造語は、すべて松下圭一氏という1人の学者の理論に始まることを見事に読み解いてくれた。
 「地域主権」という新しい造語には警戒や注意が必要だ。単なる言葉遊びではなく、国家観や歴史観、家族観につながっている。
「国民」の語を使わず「市民」という語を使い、国家統治とは関係のない地方行政を進めようとしている。
 政権中枢にいる高官の方々がそうした考えを巧妙に使って(政策に)入れていることは、本当に注意しなければならない。
 では、民主党の国家観の中核をなしている「新しい公共」と、いま議論している「地域主権」の概念が、どうリンクしているのか?もう少し教えてほしい。

■八木参考人:
 与党の若い先生方はご存知ないかもしれないが、菅直人副総理は『大臣』(岩波新書)のなかで松下圭一著『市民自治の憲法理論』が自分の教科書でありバイブルであるかのように称えている。民主党の出す文書の中にも松下氏の影響が非常に強く出ている。それは松下氏の著作を読めば正確に理解できる。
 本日説明したことは、「地方分権」と「地域主権」は全く違うということだ。
 なぜ「地方分権」といわずに「地域主権」というのか。民主党政権が「この国のかたちを変える」などと大上段に言っているのは、意味がある。
 地方自治権の根拠とは何か?これを憲法上きちんと説明ができなければ、「地域主権」という新たな言葉は内閣法制局もおそらくはねつける。
 法学上の概念でないものを法律に使うのはいかがなものかと思う。
 また鳩山首相が盛んに言っている「新しい公共」も、松下氏の『市民自治の憲法理論』から出てきたことは明らかに読み取れる。
 ポイントは、「市民自治」によって創られるものが「新しい公共」というものだ。
 「市民」は国籍などを問われない。「古い公共」に対する対置概念で、「官」を中心にしてつくられるのが「古い公共」、これに対して「市民」が積極的に参画して作られる公共政策、あるいは公共空間を「新しい公共」と呼ぶのだが、では「市民」とは一体誰のことか。
 外国人も含まれるし、外部の提携団体など「新しい公共」に関する組織が色々と出てきているが、ハッキリ言えば、行政にNPO・NGOほか市民団体が直接にタッチして、
政策を決定していく仕組みやシステムを作ろうとするものだ。
 これは地方自治体レベルではすでに行われている。それを担保するのが自治基本条例だ。
 今、その中央政治版を作ろうとするもので、国政上でも法制化しようとするものだ。

■世耕議員:
 重要な指摘であり、「地域主権」の問題は単なる言葉の問題ではなく、もっと大きな背景があるようだ。憲法上の問題でもあり、松下氏の著作をこの委員会でみんなで輪読していかなければ解決しないように思う。

《又市征治議員(社民党):法律上の「地域主権」に関する質問に対して》

■八木参考人:
 私の意見を述べるよりも、原田尚彦氏の見解を、もう一度、あげておきたい。
 「中央政府・地方政府対等並存論は、いささか突飛なイデオロギー的憲法解釈といわざるをえない。」「われわれは、観念論にまどわされることなく、地方行政の実体を熟視し、日常的な実践を通じ憲法の枠内で『地方自治の本旨』に即した地方制度の形成・運用に努めていかなければならない。」(原田尚彦『〈新版〉地方自治の法としくみ 改訂版』)。
 私はこれに尽きていると思う。「地域主権」という言葉がここでいう「観念論」である。
 これにより国民生活に不都合が生じることがあるならば、その立場に立つべきではない。

 上記の八木理事長の参考人質疑に関連する論考には、『正論』5月号「国民を誑(たぶら)かす『新しい公共』という論理」とクロスライン欄「保守を自任する議員たちへ」、同6月号クロスライン欄に、「とんでもない事態の進行」があります。(共に産経新聞社刊)

正論5月号

正論6月号